なんごく日和*

びっくりするくらいダメなアラサー主婦です。

帰宅難民の思い出

私は7年前の今日、帰宅難民になりました。


3月12日にわたしは当時一人暮らししていたマンションから実家に帰る予定でした。
11日、東京最後の夜を彼氏とではなくwww家族で過ごす予定でした。

そのためこの日の夜は割とお高いレストランを予約してルンルンで準備していました。

ちなみに、引っ越し業者には繁忙期のぎりぎり手前の2月最終日に来てもらっていてすでに実家には自分の荷物が届いていました。
つまり、3月11日時点でマンションの部屋には10日余りを過ごすための最小限の衣類とテレビ、パソコン、お布団セット、コップくらいしかありません。
狭い部屋がとっても広かったのを覚えています。
その前の日、6階のこの部屋から富士山がとてもきれいに見えたことも覚えています。


当時流行っていたニコニコ動画を見ながら夕食までの時間をつぶしていたときでした。
グラグラという地震が始まりました。

1週間ほどまえにも震度4程度の地震が起こっていましたので「またかああ」くらいの軽い気持ちでした。

しかし、グラグラという酔いそうな横揺れが収まるどころかどんどんと激しくなっていきました。

がらんどうの部屋、落ちるものも壊れるものもありませんが、作り付けの食器棚の扉がものすごい勢いで開閉しています。
どこからか「ぎーーーぎーーー」というきしむ音、体感では1分近くたっているのに全く収まらない揺れ。

窓の外のほかのマンションの様子を伺おうとしましたが
6階の部屋は地上よりも揺れますので部屋のなかをうまく歩けませんでした。

ここでようやくテレビをつけることを思い出し、すぐにテレビをつけました。

今でこそ見慣れてしまいましたが、その時は緊急地震速報の画面がキャスターを半分隠すほどの大きさで映し出されていることにびっくりしつつ、なにかとんでもないことが起こっているということはわかりました。
そして速報には実家の県名も…。

夕食までに東京に着くために両親はそろそろ家を出ているはず!
こんな大きな地震でもし電車の中や、高速道路にいたら!?
テレビの画面をみながら両親に電話しました。
地震直後は電話が通じないことも、緊急電話のために不要不急の電話はしていけないことはわかっていましたが…

一回目のコールで通じました。

両親は家を出ようと玄関にいたまさにそのときに地震に遭遇しました。
これもラッキーで、すぐに家の外に避難できたのです。
ですがもちろん予定はキャンセル。

安心したのは束の間。


あれ、わたし明日家帰れるの??


地震から1時間もしないうちに、テレビでは津波の衝撃的な映像が流れだし、電車の運転見合わせ、高速道路の通行止めがnewsに流れはじめました。



あれ、これ帰れないよね。



こうしてわたしは管理会社にお願いして退去期間を2週間延ばしてもらい、がらんどうの部屋での生活をつづけることになった泣


そのあとは皆さんご存知の通り、東京で買い占め発生泣
わたしはスーパーで唯一残っていた「おいなりさん」を1週間食べ続けた。


カップラーメンも水もなにもすべて売り切れ:-<
これにはびっくりしました。
買い占め問題は10日ほどで解消の傾向になりましたが、今度はガソリンない騒動:-<




そしてそれからなんやかんや3週間、帰れませんでした。
水の復旧、ガスの復旧、そのたインフラの復旧を待ったこともありますが。
さいごの1週間はどうやって過ごしたのか記憶もあいまいです。


きっと東京だけでなく被災地にもにもたくさんの私のような人間がいたんだろうなって思います。
結局私は友達がいたので乗り切れました。



だれもいない土地で災害にあったら、今みたいに海外で災害や事件にあったら…

どうやって行動しますか?